第82回月例研究会「実例に学ぶ コンピュータ紛争事件」報告
日時 平成13年7月26日
場所 労働スクエア東京704会議室
演題 実例に学ぶ コンピュータ紛争事件
講師 東京地方裁判所 民事調停委員(コンピュータ専門)
保科 好信 氏
(文責:No.526 富山伸夫)

講演要旨

1. 民事調停制度について

 調停というのは、昔長屋の大家さんが店子の揉め事をまあまあといって丸く納めたようなもので、大正年間より民事の簡易裁判所で、離婚や金銭トラブルの処理に用いられて来た。全国での民事新件届出は約31万7千件あるが、その70%以上が調停で済まされている。東京地裁では2万7千件のうち1万4千件が特定調停に廻されている。
 日本の調停制度は、長期間の裁判判決で黒白をつけるよりは原告被告両者に適当に折り合いをつけさせるもので、ヨーロッパ諸国から勉強に来る等ユニークなものである。
 東京地裁専門部には、裁判官5名と事務官12−3名のほかに非常勤国家公務員としての民事調停委員が294名いて、普通の裁判官には手に余る専門調停に当たっている。調停委員の内訳は、法律専門家126名、有識者15名、技術専門家153名(建築士65名、不動産鑑定士40名、コンピュータ専門家15名、他医師、弁理士など)で、コンピュータ専門家は3年前の1名(元花王の小西氏)から段々に増えてきている。
 専門部が扱った事件数は、2000年度で587件、内建築関係270件、コンピュータ関係50件あり、この50件を15名のコンピュータ専門家が担当している。どの事件も裁判を永らくやった挙句廻されてくる関係から、資料が多く準備と面接回数日数も結構かかるので、一人で常時5−6件抱えている状態になる。

2. ITを取り巻く環境

 ITの発展は、コンピュータの普及が進むと共に、企業の中に情報担当役員(CIO)とコンピュータ担当役員が別に選任されるような状況を生んだ。情報システム部門の役割が大きく変化して、パッケージ導入やアウトソーシングが盛んになり、この辺、りから紛争が生じる契機となっている。

3. 情報システムの特徴と紛争の背景

 情報システム産業の特徴として、歴史が浅い、進歩・変化が激しい、形が見えない等とよく言われている。自社開発の代替・延長で、バグがあっても当然とか納期遅れが当たり前の部分があり、業界が未成熟といえる。一方、法学の世界からは対角にあると思っているせいか、裁判所・弁護士などは殆んど知らなくても済むとしているところがある。
 情報システム紛争の背景としては、システム部門の分社化や新しいアウトソーシング先との取引が始まったこと、またERP導入とカスタマイズなどで経営のトップダウンの必要性が出てきたことなどでより責任問題がシビアとなるせいかと思われる。一方、SI企業特にベンチャー企業の体質として契約とか購買管理等の弱点が関わっている。

4. コンピュータ紛争事件の実例

 実際に調停途上の紛争事件を例に説明された。

(1) 開発代金の返還を求める紛争事件

 独立系のベンチャー企業が、大手のリース会社のシステムを同社から分社したSI会社から請け負ったところ、納期に間に合わずに契約を解除とされ、開発代金の返還を要求された。争点として、原告側は被告のソフト会社の能力不足をあげ、被告側は大幅な仕様変更が原因として反訴した。
 ここでは、元請会社、発注会社、下請企業夫々に問題があり、どうも調停不成立ということになると、意見書をつけて裁判の方に戻すことにことになる。別に民事訴訟法の17条決定として調停決定(裁定)もある。

(2) 開発代金の支払を求める紛争事件

 大手電気メーカーの仕事を長年手がけてきた独立系のベンチャー企業が、同大手メーカーのシステムを同社から独立したSI会社から請け負ったが(金額4千万円)、納期に間に合わずとして契約解除されたため、未払いの開発代金の支払を求めた。
 争点として、原告側は発注者がプロマネまでやって入り込んでいたとし、被告のSI会社側は不安で任せられなかったという。下請会社の開発能力が問題とされた事件だが、約8カ月調停やってそろそろ纏めたい意向である。

(3) 開発請負契約をめぐる紛争事件

 中堅建築会社が中堅ソフト会社にシステム開発を依頼し、請負契約をしないまま開発を進めていたところ、新社長になり契約を迫ったら出入り禁止となったので、ソフト会社が開発費の支払を請求したが、契約書がない、打合せ議事録に承認印がないとして支払を拒否された。
 争点として、打合せは数多く重ねていたこと、データも提出されていること、部分的な支払も受けていることなどが、実質的契約と受け取れるかである。このケースでは、裁判をやったら開発した方が負けとなる可能性が大きいが、孫受けにも金を使ってしまっているので、なんとかならないかと考えている。

(4) 雇用・派遣と請負のトラブル

 中堅の薬品メーカーが、個人企業のSEをメンテナンス中心で便利に使っていたところ、再構築で開発が入ったからか、定額の報酬のほかに開発費を請求されたので出入り禁止(解雇)した。そのSEが稼動中のシステムを破壊し、開発費支払の訴訟を起こしたので、メーカー側は支払済み費用の返還を求めて反訴した。
 SE側にも問題あるが、メーカー側も管理にずさんなところがあり、片方ずつ呼んで話をしている。

(5) 下請け・孫受けの受難トラブル

 発注元A社が元請B社にシステム開発を発注し、B社は丸投げで下請数社に出したところ開発途中でキャンセルされた。下請Cは契約を結んで孫下請Dに開発を出していたところ、このキャンセルによりC,D共に困ってしまったが、今後の関係を配慮して発注元を訴えることができない。
 結局C,D両者で痛みを共有して納まることになった。

5. 事件を未然に防ぐために

 事件を未然に防ぐためには、(1) システム開発工程の特徴を知ること。特に工程管理の重要性及び運用・保守体制の重要性を認識すること、(2) 契約書の重要性を再確認し、現場の責任者にも周知させておくこと、(3) 文書管理の重要性、その内特に日付と確認印(サイン)の重要性を認識させること、などが大切である。

6. 紛争事件の解決

 裁判による解決を目指す場合は、訴状を出す前に証拠の確認(契約書、会議議事録、成果物等)が重要である。口頭での約束などは認められるには大変な困難がある。訴状の作成などは弁護士に頼むが、どんな弁護士に頼むか慎重に考慮する必要がある。
 調停による解決を望むには、調停と裁判との違いを知り、どこで決着(和解)をつけるか考慮する必要がある。
まとめとして、(1) 契約をきっちりする、(2) 仕様変更に関する取決めをきちんとする、(3) 担当者の交替には引継を文書で必ず行う、(4) 何事も文書で確認する、(5) 会社の文化の違いを認識する。特に大企業の管理職は中小企業の経営の厳しさ、社長のシビアさを自覚して欲しい。

(主な質疑)

Q: 最初から調停が行われるのか
A: 離婚の場合は裁判の前に調停がなされるが、専門部に来るのは、先ず訴訟があって普通の裁判を1−2年やると手に終えなくなって降りてくる。双方合意がないと調停には廻せない。
Q: 運用のアウトソーシングに関した事例はあるか
A: 開発のアウトソーシングが主で、私はまだ運用の例は手がけていない
Q: 開発能力があったかどうかを見るのに、どういう項目をどんな基準で判断するのか
A: 仕様書をチェックすることが多い。ケース毎に違うが、それなりのアウトプットがあれば常識的に判断する。
Q: 開発契約未締結で先行着手の場合は、裁判と調停でどう違うか
A: 裁判だと法律に照らしてスパッと切られてしまうが、調停ではなんとかしようとしている。
Q: 打合せのドキュメントは、開発側で作っただけにしてある現場が多いが、追認行為は有効にはならないのか
A: 片方だけの文書では効力が薄い。
Q: 議事録に発注側の印鑑があれば認められるか
A: 役員の印があれば契約と同じに見られる。
Q: 議事録の代替手段としてのメールは認められるか
A: メールは簡単に追加削除出来るので確実な証拠にはならない。サインして返してもらったファクスなら信用度が高い。
Q: 検収の効力や損害賠償の実例はあるか
A: バグがあって損害賠償というケースは今までには無いと思う。品質レベルでランクをつけ、修正期間で縛りを入れているケースが多い。
Q: 昨年の50件でどういう傾向が多いか
A: 一番目は納期遅れで6割方が、次に契約上のトラブル。一旦合意した後再度遅れのケースなど、我慢の限度は1か月で、3か月遅れで訴訟になった例もある。
Q: 調停当事者の負担はどれくらいか
A: 開発金額が6千万から1.5億円のものが多い。調停では1千万円位で片付けたいが一概には行かない。裁判では訴訟金額の何%と印紙代30万円それに弁護士費用がかなりかかっている。
Q: 請求金額の算定に目安はあるか
A: 仕様変更の常識的な範囲はどこまでかを考える。仕事量の見積りは、基準はないが、人月1200〜1800ステップ、SE・プログラマの費用は、3〜7万円/日、60〜150万円/月を一応の目安と見ている。

(感想)

 ソフトウエア開発取引には曖昧なところが多いと云われて来たが、裁判で決着をつけるのは随分大変という話を聞いたことがある。日本的な調停制度で丸く納めるやり方がよいと思うが、調停委員の方の並々ならぬ識見とご努力で行われていることに感謝すると共に、システム業界の傍らにいるものとして、そのようなご厄介を掛けないよう日頃のマネジメントが重要と痛感した。